だからペットを飼うのは嫌なんだ

この言葉を言う人ってどんな人だろう?

世話をするのが苦手な人。
家族のだれかがペットを押しつけて仕方なく世話をしてる人。
ペットが亡くなった飼い主。
飼い主が哀しがってる様子を見てるのが辛い人。
お金がかかるから。
部屋を汚されるのを嫌う人。

様々な思いがあってこの言葉を口にする人がいる。
今回うちの猫が亡くなってよく聞いた言葉の一つだ。

大半はペットが死んで…が多いんだと思う。
で、今までは聞き流したり、深く考えたりしなかったけども
改めて考えてみた。

特に私のケースのようにペットを亡くした人から発信されたこの言葉。

死別。
確かに辛いよ。悲しいよ。
今まで家に帰れば必ずいたのに、ある日を境にもういない。
今は亡くなった瞬間の光景がフラッシュバックされて
後悔やら自己否定やらいろんな思いが駆け巡る。

と同時に、あの子と過ごして楽しかった出来事や、
変なポーズや変な顔して笑かしてくれた日のことや、
あの子のぬくもり、あの子の鳴き声を思い出すと
少し微笑むことも今はできる。

これからは悲しみよりも幸せだったときのことのほうが強く残るだろう。
今よりもっと。

うちに来てくれて本当によかった。
生きてる時も伝えてた。
「サラはうちの子で良かったねえ。
○○くん(彼様)に助けてもらわなかったら長生きできなかったねえ」
なんてったって犬の散歩中の道路で遠目で見た限り、
クシャクシャの新聞紙がまるまってるかのようにしか見えなかった子猫でしたから。

私たちもあの子がいて幸せに過ごした。
サラ自身もきっと幸せだったんじゃないかと思う。
人間のエゴなのか問いたくはないが、
少なくとも弱ってる命を見過ごすことはできなかったしね。

話が脱線したけど、そのサラが亡くなって
身近な人からタイトルの言葉を言われた。
その人も以前ペットを亡くしている。
何の気なしに言ったのかもしれない。
でも私はその言葉の意味に引っ掛かって食いついた。
「なんで?」
「死んだら悲しいじゃないか」
「そりゃ悲しい。
今は悲しいけど十数年暮らしてて楽しかったことのほうがはるかに多い」
「死をみるのは辛い」
「飼った以上、最期までみとどけてあげるのが責任」

生も死も、成長も病気ももすべてひっくるめて受け入れて
世話をするのが飼い主の責任だと思う。

たとえば人間との死別。
最愛の人が亡くなったら「だから~嫌だった」なんて決して言わない。
ペットだから、という人間の上から目線が嫌だ。
命に上も下もない。
ある宗教の教えでは動物は畜生界らしいが、
飼われてるペットを畜生だから、と思って育ててる人は少ないだろう。
だからって動物の生態や行動を無視した行いにも疑問を覚えるが。

「だからペットを飼うのは~」
犬なり猫なり飼うと決めて家に迎え入れた以上、
そんな否定的な意見で最後を締めくくろうとしないでほしい。
マイナスな感情でペットとしてやってきた子の存在自体を悪く言われるのは悲しい。
楽しい思い出がいっぱいあったはずなのに。

私は縁あってサラがきてくれて良かった。
サラを育てて幸せだった。
そこには癒しも発見もあったし、優しさを再度芽生えさせてくれた。
出会えたことに感謝してる。
そして、またあの子に出会いたいと思う。

思う。
「だからペットを飼ってよかった」と。