最後に笑うのは誰だ

職場の同僚と子供の教育の話。

塾に行かせ、大学に行かせ、その先の就職。

親は学費のため身を粉にし、一生懸命働いてるのに対し、
子供はどこに行きたいわけでも無く、のんびりと人生の選択。

なんのための大学か。
こだわりのための最終学歴は意味を成したのか。

世の中には
塾の勉強に追いつかせるために
家庭教師をつけてる家もあるという。
塾に行くための家庭教師。
なんじゃそりゃ。

学は確かに必要なこと。

専門の職に就くためには専門の学がいる。
ただしそれを生かせてる人はどれだけの数なんだろう。

「塾に行け」「いい大学を出ろ」
親のその思いを果たして子はどこまで理解するのだろうか。
そして、その子がいざ親になったとき
また同じことを言い伝えていくのだろうか。

子供に良い人生を送らせようと親は必死で頑張る。
1年間に100万単位のお金を貯めようと必死に働く。
子が心底理解できたころには、親はもう年老いて働けない。

これが
親から子に延々と継がれる、ひとつの愛情。
そこんちの家の考え。

確かに学があったら人生の選択肢が広がるね。
そういうのを踏まえて親は勉強させるのだろうね。
自分を犠牲にしてまでも。

ならば私は悪親だ。
一度も勉強しろ、と言ってはこなかったから。
子の人生岐路を狭めさせてしまったのだから。
が、これもそこんちの家の考え。

生きることに本当に必要なものは……