監督 マイク・パヴォーネ
キャスト
エド・ハリス…サイモン先生
チェイス・エリソン…アンドリュー・二コル
アレクサンダー・ウォルターズ
・サイモン先生の教育道は間違ってない!
・いじめがはびこってる学校 変人?が集う中庭
・二コルはスタンリーを見て人間の尊厳に気づき始める
・偏見の目で見てはならない親にお勧め
・人の尊厳+思いやる=平和
子供って残酷だなーと冒頭から。
人と接して、集団で学び、教師がいて。
そこから無意識にでも人間は優劣をつけたがる。
そのうち、意識化して「いじめ」という形で差別が始まる。
パッケージの後ろ向きの赤毛の子が
主人公なんだろうな、と思ってたら
後ろにいる男の子が主人公でした。
実話ということでビックリしましたが
この赤毛のビッグGと呼ばれてるスタンリー。
わずか13歳でもう形成されてます。
彼は人格者です。
これは60年代の話らしいので
今と比較してはいけないんですが
いつもこの手の話で思うことです。
なぜ、ゲイが病気のように思われるのか?
人が人を愛することはなんらおかしくない。
それが異性ではなく、同性ってだけ。
私生活と仕事は何ら関係なく、支障も出ない。
それが偏見によって、
ゲイが移るかのようなものの見方をする人がいて
理解が得られないでいる。
この映画では
今でいうモンペな親も登場する。
サイモン先生にゲイという噂がある。
子供たちに影響出てくるし、子供もゲイになったら困るから
その先生を辞めさせないとPTAや新聞にバラし、大ごとにさせるぞ、と。
なんていう親だ!
サイモン先生が何をしたっていうんだ!
サイモン先生はゲイではないが、それを否定しなかった。
結果、学校を去ることになってしまうんですが。
じゃあなぜ否定しなかったのか。
そこに
人の尊厳+思いやり=平和
につながるんだと思います。
ゲイであることと、人間性は関係ない。
このことで偏見を持ってはいけないし、
ゲイでないことを否定すればモンペ親との争いになってしまう。
だから…の行動だったのかもしれません。
いや、まだ他の道があったかもしれない
と書いててそう思った。
教職を去らなくとも、違う教えがあったのでは?
エンドロールで
大人になったその後の彼らがどうしているかが流れます。
ああ、やっぱりなというその後がわかります。
モンペ子供のフリールが
ずっとノブコブ吉村に見えてしかたなかったです。