聲の形

映画「聲の形」

 

 

監督 山田尚子

入野自由…石田将也

早見沙織…西宮硝子

悠木碧…西宮結弦

 

 

色々と考えさせられましたね。

私が学生だった頃、クラスに耳が聞こえない女子がいました。

すんごく可愛い顔立ちの子で、明るい子でした。

表情も豊かでね。

でも途中で引っ越してしまいました。

誰もからかったり、いじめたりすることなかったなあ。

 

今と昔の違いがどうなってるのか

もう子供も大きいし、学校とも縁がないのでわからないのですが

多少の聴覚障害があったり、

たとえば重度すぎない発達障害の生徒もクラスには一人いました。

それでもみんな普通に接していたし、遊んだし。

一言も声を発しない子もいた。

数十年後の同窓会にも顔見せたって言ってたしな。(自分不参加)

 

その頃の私(たち)はそういう同級生にに関しては

詳しいことはわからないんだけれど

それがこの子なんだ、

というのを暗黙しながら認め合ってたような気がします。

少なくとも私の周りではなかった。

いじめっ子、いじめられっ子は別の次元でいたけどね。

 

だから、この映画の小学生時代のシーンを見て

黒いモヤモヤが湧いてた。

将也はなんであんなに西宮につっかかるのか、

当時好きだから虐めた…ってわけでもないし。

将也が性格ねじまがるほどの家庭環境でもないし。

「気づき」が早い子なのに、なぜあそこまでと思ったわ。

 

キーポイントはコミュニケーションですね。

聴覚障害を持っていない自分ですら

人とのコミュニケーションは難しいってのに

自分の意見や、相手の言いたいことが

より伝わりにくい設定だからなおさら難しい。

まして小学生から舞台は始まってるわけで。

 

共感できたキャラクターは硝子のお母さん。

強くないと、無理矢理にでも心を強靭にしないと

やっていけない。

ひとつひとつの行動がなんかわかるわーと思った。

 

永束。たまらん。

なぜにあのモコモコ頭にしたのだ?

そして話し方。

彼がいてだいぶ心が軽くなった。

私も永束のような友達を持ちたい。

 

 

これって京アニでした。

 

気持ちを相手にシンプルにストレートに伝えたい。

でも人の心って色々複雑で

なおかつ考えすぎて余計に絡めてしまって

相手に伝えにくくなってしまうんだな。

やっぱいろんなことを考えさせられるアニメでした。

 

 

 

 

 

映画「聲の形」